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ソ連のアメリカ評価

1964年にソ連のアメリカ評価、核兵器政策をめぐって日本共産党はソ連共産党と対立し、論争を公然化させた。このなかで、当時国会議員だった志賀義雄や鈴木市蔵が国会でソ連が推進する部分的核実験停止条約に賛成し、日本共産党は「党の決定にそむくもの」として除名した。ソ連は志賀グループを公然と支持し、日ソ両党は激しい論争となった。
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また、1966年、「文化大革命」を契機として中国共産党(主に毛沢東)から日本共産党へ「修正主義」との批判が加えられ、ここでも激しい論争となった。世界の共産党でも同じような現象がおきたが中国に同調するグループが各地でつくられ、山口県委員会などが中国派の中心になった。「共産党は一九六六年に、従来の非妥協的新中共路線とたもとをわかち、“現代修正主義”〔ソ連〕と“左派教条主義”〔中国〕との断絶ははっきりし、両派はこのうえない痛烈な表現で直接お互いに指導者に攻撃を加えた。八月には最後に残った二人の日本共産党代表が北京を離れたが、出発のさい紅衛兵に激しく殴打された」(アメリカ国務省情報調査局年次報告1968年版)。この過程でも中国派は党規約にそむいたかどで除名された。このように日中共産党の関係が悪化し、日本共産党の自主独立路線に反発するという名目で西沢隆二、安斎庫治、原田長司、大隈鉄二、福田正義ら親中共派が離脱、「日本労働党」、「日本共産党 (左派)」、「日本共産党革命左派神奈川県委員会」、「日本共産党 (マルクス・レーニン主義)」(後の労働者共産党)、「日本共産党 (解放戦線)」、「日本労働者党」などを結成した。

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2009年07月13日 00:51に投稿されたエントリーのページです。

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