日中戦争(支那事変)が始まると、周恩来は共産党の代表として重慶に駐在し、蒋介石との統一戦線の維持に努めた。日本が降伏した後はそのまま重慶に止まり、毛沢東と共に戦後の連合政府の樹立に向けた国共会談を続けた。しかし、これは物別れに終わり、国共内戦が始まった。内戦に勝利した共産党は、1949年に中華人民共和国を建国した。
中華人民共和国の建国後、周恩来は中華人民共和国国務院総理(内閣総理大臣に相当)に就任し、1976年に死去するまで27年間この地位にあった。
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周恩来は1954年のジュネーヴ会議に中華人民共和国代表として出席し、インドシナ戦争休戦の実現に尽力し、その間にインドのネルー首相と会談して、平和共存・内政不干渉などの平和五原則を発表した。翌1955年にはインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)にも出席して、新生中国がアジア・アフリカの反植民地主義の立場にあることを世界に示した。
彼の誠実な人柄と、自ら権力を欲しない謙虚な態度と中国革命への献身は、中華人民共和国の民衆から深い敬愛を集めていた。また、その人柄からリチャード・ニクソンやヘンリー・キッシンジャー、田中角栄など、諸外国の指導者層からも信頼が厚かった。